こんにちは。料理人の佳子です。
庭でアナベルが美しく咲き誇っています。入梅間近ですね。
「わたし、康子さんの友達です」
ご予約をしていらしたお客様は、カウンターに座られるなり、そうおっしゃいました。
康子さん?どの康子? 私には康子という名前の友人知人がたくさんいます。
「愛知県の康子さんです」
ああ!知多半島に住んでいる、はとこのやっちゃん。
お客様は、やっちゃんの高校の同級生で、大阪の方とご結婚された由。やっちゃんがすぐあおぞらに来られないので、まずあなたが行ってあげて、と推薦を受けてきてくださいました。
「僕、実はFさんの友達です」
え、Fさん?山口県の?
来店されてから30分以上経った頃、お客様はそうおっしゃいました。
ちょうど少し前に、高校のF先輩に「必ず来るとおっしゃっていたのに、なぜ顔を見せてくださらないの?」と図々しい手紙を送ったばかりでした。
返信で衝撃の事実が。現在、老人ホームの事務担当として働いているFさんは、コロナ感染防止のため県外脱出を禁止されていること、もし県外へ出たら2週間自宅待機になってしまうこと。にっちもさっちも動けないため、古い友人のKさんに、まず行ってやってくれと、あおぞらを推薦してくれたそうです。
よくよく話を聞いてみると、当時、大学生だったFさんとKさん、高校生だった私は、名古屋の演劇サークルに属していて、きてくださったKさんのお顔には、うっすらと記憶が。
帰宅してから昔のアルバムを見てみると、Kさんと私は41年前に夏のセミナー合宿に参加しており、楽しそうな顔が隣同士で写っていました。41年ぶりの再会だったとは!
「私、Tさんの高校の同級生です」
え、Tさん?チュニジアの?金沢のご出身ですか?
食堂あおぞらから最も遠方に住んでいる友達のTさんが、自分はすぐ帰国できないからと、大阪在住のお友達を推薦してくれました。
Tさんが金沢大学4年、私が立命館大学3年の時、私たちは、ソウル経由ロサンジェルス行きの大韓航空のエコノミークラスの3人がけの座席で隣同士でした。もう一つの座席には、同志社大学4年のHくんが座っていました。この2人とは、ともに還暦を過ぎた今も親交があります。Hくんは時々、庭になったブルーベリーを送ってくれたり、電話やメールをくれます。
私たちの飛行機はトラブルのため5時間遅れで大阪を飛びたち、ソウルに着いた時にもうロス行きの飛行機は飛び立った後。ソウルに1泊した後、翌日の便でアメリカ着、ロスでは同じモーテルに泊まって、一緒に遊びに行ったりご飯を食べたり。英語教師になるTさんに「あなたのその発音じゃ通じないわよ」と言われた単語が、reconfirmationだったことは今も鮮やかに覚えています。
この数日間の親交が、その後、何十年も続くとは夢にも思っていませんでした。
アメリカ滞在時を除くと、Tさんとリアルにあったのは、アメリカに留学するための試験を受けにきた時にわが家に泊まっていった時、その後、チュニジア人と結婚して、チュニジアやオマーンで働き、久しぶりにお里帰りした時に関西国際空港で和食を食べた時。リアルにあったのは、その2回だけで、その後は年賀状やメールで細々と交流を続けてきました。
私の友達が彼/彼女の友達に、私の代わりに行ってあげて、と推薦してくださり、食堂あおぞらのお客さまになっていただく。
うれしさが倍増、いや4倍増ぐらいになります。
「あなたのお友達がきてくれました、ありがとう」と連絡をし、またもや古いお友達と友情の輪が細く長く続いていく。
飲食店ってほんと、食べるだけの場所じゃないんだなと思います。
「胃袋を満たす街角の食堂」として、そして「明日の活力を生み出す場所」として、私は食堂あおぞらを開業したけれど、明日の活力をいただいているのは私自身ですね。
さらに、私といろいろな方のステキな居場所にしていこうと思わずにはいられません。