こんにちは。料理人の佳子です。
朝夕めっきり涼しくなってきました。暑がりの良夫マスターも、やっと長袖シャツ&ベストの秋冬制服にチェンジ。私は年がら年中、コックコートですが、白衣の下のシャツや靴下を徐々に冬仕様に変えていきます。
夏が長かった分、今年の秋は短いかもしれませんが、確実に季節を伝えてくれるものはお米。今日から、あおぞらのお米は新米(2023年産)に変わります。
プライベートでも、食堂あおぞらを開業してからも、お米は三重県名張市赤目で無農薬栽培をしている大浦貞也さん(冷めてもおいしいごはん好きの私が作ったお米 米工房代表)にずっとお願いしてきました。
最初に大浦さんにお目にかかったのは、もう20年以上前になるでしょうか。
前職のライターをしている時に大浦さんを紹介され、取材に行きました。
最初は、アトピー症をかかえる子どもさんのために、マンションのベランダでお米を作り始め、お椀1杯のお米の収穫からスタートしました。
その後、長年勤めた会社を退職し、農業に従事することを決め、おいしいお米をつくれる土地を全国ベースで探し始めました。
水、土、空気、いろいろな要素を総合判断して、ここしかないと土地を借りたのが、名張だったのです。お住まいのある奈良から、名張へ通われました。
お米を作っていただくだけでなく、お蕎麦を打ったり、お味噌をつくったり、いろいろな企画に大浦さんにお誘いいただき、友達をつれて奈良や三重に出向きました。
その大浦さんが病気になられ、闘病生活に入り、食堂あおぞらが開業します。
昨年には、もう1年単位の仕事ができなくなったので、2022年産のお米の収穫で廃業することを告げられました。
あんなに丁寧な仕事をして、見事な田圃を作り上げてきたのに、なんと無念でおられるだろう、と胸を突かれました。
今までのように、その都度白米にして送っていただくことができなくなり、1年分を玄米で仕入れることにしました。
10キログラムを6袋に分けて、奥様が運転して直接、大浦さんが届けてくださいました。
その結果は思わぬ広がりを見せます。
もともとおいしいとお客様に評判だった大浦さんのお米は、提供前直近の精米仕立てでさらにおいしくなり、精米後にでる糠で糠漬けを始め、それもまた喜んでいただき、糠漬けに興味を抱いてくださったお客様に糠をお分けするようになりました。
いつも夏になると、暑中見舞いメールを出しました。日陰のない田圃は、大変な暑さとなるからです。
今年はもう田圃にはいらっしゃらないと思ったけれど、8月11日に「この酷暑にも、もちこたえている、けなげな玄米ちゃん、最後の10キロを切りました」とメールを出すと、「あの酷暑、こたえました。明らかにゆっくり、鳥人間コンテストよろしく、低空飛行で飛んでいる感じです。暑い時は、テレビでスポーツ観戦でした」「まもなく梨の収穫が、奈良五條に買いに行かなくちゃと、お口は梨で溢れています」と、大浦さんらしいウイットに富んだ返事がきました。
そして、「術後4年目に突入、まだまだ生かされたいと思っています」。
それが大浦さんの最後の言葉となりました。
9月27日、奥様から9月5日午後に体調が急変し、息を引き取られたこと、7日、涼しい秋空の下、オレンジ色のかりゆしを着て天昇されたというお知らせが届きました。
この世から、大浦さん自身と、大浦さんのお米がなくなるんだと思うと、本当に悲しかった。
残ったお米を少しずつ使い、とうとう10月13日、最後の大浦さん製作のお米「キヌヒカリ」がなくなり、その日の夕方、新しいお米をお願いすることになった羽鹿秀仁さんの「コシヒカリ」が到着しました。
お米の新旧交代には、1時間の誤差もありませんでした。大浦さん、お見事!と、彼の生涯に心から感服しました。
大浦さんは、鬼籍に入ったらすることをノートに書いて旅立たれたと奥様はおっしゃいます。
私には、自分と同じく名張で有機質肥料のみを使い、はざかけ、脱穀、籾摺りを経てお米をつくっている方を紹介していただきました。昨年に見本米をいただき、あおぞらで使うことに決めました。
最も初めに収穫するコシヒカリを5キロ消費した後は、キヌヒカリに変えようと思っています。大好きな品種です。
実は、母の認知症の兆しを見つけてくれたのも、大浦さんでした。
「お母さまから連絡があり、新聞で、もち米の広告を見たのだけど、どこに申し込んだらいいのかわからなくて、あなたのところに連絡してみましたと電話があり、絶句したんですけど、おしらせしておきますね」と。
あら、トンチンカンなことになっていますね、ご迷惑をおかけしましたと謝ると、「いえいえ、お米のことなら大浦と思い出していただけで、うれしいです」と優しい言葉をかけてくださいました。
それから私は母をつれて病院に行き、認知症の診断を受け、今に至ります。
公私ともに、大浦さんにはお世話になり、いろいろなことを教えていただき、思い出に残る体験をさせていただいたことを感謝しています。
大浦さんの最後のごはんを召し上がっていただいたのは、ご常連のスミコさんとアツコさん、そして良夫マスターと私でした。
大浦さん、最後までごちそうさまでした。ありがとうございました。